即興音楽とインプロ、音と声と彼方との邂逅

即興実験工房 ゆにわ

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表現の原動力
先日、とある表現の大先輩の方から、このようなお話を聞いた。

『表現をする事は恥ずかしいとか、失敗が怖いという気持ちは誰にでもある。しかし、その気持ちの奥にこそ表現の原動力が隠れている。』
『表現される以前の心の内側に湧き起こってくるもの、これを如何にダイレクトに表現できるかという所こそ研鑽するべき場所である。』

概要なので、あくまで僕の記憶で文章を作り替えてしまっているけれど、大筋は合っていると思う。長年真剣に表現と向き合って来た方の確かな実感と力強い言葉に身が締まる思いがした。

割合今までの自分は、即興演奏についてはほとんど感覚的にやってきているので、このように確かな哲学を言語化するような必要を感じていなかった。
しかし、様々な対象に向けてのワークショップや、高校の授業での取り組みという新たな動きが活性化されるにつけ、やはりある程度の言語化の必要が迫られてきている。


そうしてあらためて自分にとって『表現の原動力とは何なのか?』という事を問いかけている。


20代の頃は、社会の中での自分自身の所在に漠然とした不安感があって、それがある種の反動として常に自分の内側で燻っていた。
こうした中での自己肯定のため、一般社会に迎合できないでいる自分自身の居場所を見つけるために音楽をやっていたという面は多いにある。

それと同時に音楽での悦楽体験や演奏中の脱魂状態を幾度も体験し、その先にあるものへの追求心や好奇心というものが、作品作りの大きな原動力だった時期もある。

これらに共通してるのは『ある種の規範に対する反動』であり、『斥力の副産物』『苦しみの中から昇華された作品』であったりもした。
飽くことのない葛藤から生まれ出るもの。
泥の中に咲く蓮。

しかし、今は自分に問う。
『作品に葛藤の痕は必要か?』
『苦しみ抜いたが故に生まれ出る物こそが本当に素晴らしいのだろうか?』と。

今までの自分の作品を見てみると、ある一つの傾向があるのに気付いた。
練りに練って作ったものよりも、さらりと作ったものの方が、ずっと多くの人に受け入れられているという事実。
もちろん売れたから良いという訳ではないのだけれど、自分での気に入っている作品のほとんどはワン・テイクで作られていたりする。

初めの着想を殺さずに、出来うる限り手を加えずにダイレクトに表現されたものには、あまり発し手のエゴが乗らない。
それでも『自分の作品だ!』と主張し続ければそれも所有となってエゴとなるのではあるが、正直な実感としては、作品は産み出された瞬間に僕の手から離れていくのであって、その音のどの部分に対しても『これは自分の発想だ』という主張ができなかったりする。
明らかに自分の演奏であるのも関わらず、それは『誰か別の人の表現』を聞いているかのように感ずる。

もちろん『即興こそが素晴らしい』のではないし、練りに練って緻密に構成された素晴らしい作品はたくさんある。あくまで『僕自身』のスタンスの上での話である。

葛藤の中から生まれた音楽と、葛藤の無い音楽と、どちらが素晴らしいとは誰にも言えないと思う。
だが、今の僕にとっては『葛藤の無い音楽』や『表現』にこそ好奇心の触手が伸びるのだ。
| インプロ・ワークショップ | 03:15 | トラックバック:0コメント:0
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出雲在住 即興ピアニスト、ヒーラー 

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