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即興音楽とインプロ、音と声と彼方との邂逅
即興実験工房 ゆにわ | スポンサー広告 | --:-- |
さて、野崎島に到着して自然学藝村へ。思ったより風が強く寒い。
少し丘を登って風景が開けたと思いきや、美しい海の色に急に元気が出て来た。 ![]() とはいえ、前日も遅くまで山田先生と話込み、ワークの準備もしていたので、正味2時間くらいしか寝ていなかった事もあるかもしれないけれど、それまでも毎日豪速球で動いていたせいか、無人島の静けさ、空気を感じようとするが、心にも身体にもその余裕がないことに気付いた。 なので、しばし静寂に身を委ねるべく、自然学藝村に着いてから、一人部屋に残ってひとまず横になる事にした。 風がびゅうびゅうと音を立てている。 窓がガタガタと鳴っている。 暫くすると、その音の向こうから、山や海の静けさがスーッと染み入るように聴こえて来た。 8時半に朝食を摂り、午前中の『お話つくり』のワークへ。 山田先生のナビで、まずは小一時間ほど戸外へ出て、何か思いついたり浮かんで来た「言葉」を10個拾ってくる事、そして同様に、何かインスピレーションを刺激された「物」を2つ拾ってくる事がミッション。 各々海の方、山の方、教会の方、好きに歩いてゆく。何せ無人島なので、道だろうが何だろうが関係ないし、所々に住居跡があって、いくらかの生活用品がそのままになって朽ちていっている。 不思議なオブジェと化した足踏みミシン。 ![]() 鹿の骸骨とガイシ。 ![]() あちらこちらと歩き、最もインスピレーションが湧いたのは、教会横にあった廃墟の中の、壊れたレコードプレーヤーだった。 ![]() 40年ほど前に、最後の世帯がこの島を去ったと聞いたので、40年以上前のものなのだろう。一応ラジオも搭載した当時ならそれなりにハイテク感のあったアイテムだったかも。 教会の鐘や礼拝の声と潮騒の響く谷間のこの土地で、ここに住んでいた人は、果たしてどんな音楽を聴いていたのだろう? 今回はまず、こうして各々拾って来たアイテムをひとつ選び、更に集めてきた『言葉』を封筒に入れて無作為に二つ引き、それを元にお話を作るというもの。 ![]() 僕が引いた紙には言葉がたくさん入っていたので、お話じゃなくて詩になってしまった。 提出してしまったので、内容覚えていないけど、 ”壊れたレコードプレーヤーのように、想い出がいつまでも回り続ける” 云々...だったような。 この日の夕方、もう一度島を一人で歩きながら、レコードプレーヤーの物語を呟いていたら、全く違った話が出て来た。 文明の音がしない、人の想念のノイズがない、携帯も通じない(於Softbank!)環境の中では、逆に一人でいると本当の意味で”一人”になれる、自分の内面の静かなさざ波までがはっきりと感じられるのが面白い。そして、それを受け止めてくれる優しい自然、体験を共有できる仲間。。。 そしてワークは午後の部へと続く。 ![]() 3月30日から4月2日にかけて、五島列島の無人島野崎島と小値賀にNPO法人チャイルドラインもしもしキモチさん主宰のワークショップで行ってきました。 昨年8月の宮城行きの際、主宰の山田先生からこの島のワークのお話を聞いて妙に惹かれ、何気なく『そこ行ってみたいです!』とお話したのがきっかけで、このワークが実現しました。 野崎島はかつて隠れキリシタンの住む島で、そこに住むキリシタン17世帯の信仰の力によって建てられた逸話には胸を打つ物があります。 明治になって信仰の自由を得た村民たちが、自分たちの教会を建てようと平戸から大工さんを呼びました。 船で島に連れて来られた大工さんたちは、村民とともに生活しながら、教会を建てていきました。 漁業や農業で生計を立てている村民たちでしたが、教会を建てるのに必要なお金はとてもとてもそんな生活の中から作れるような金額ではなかったそうで、大工さんたちは、村民たちにはこんなお金が払える訳が無いし、自分たちは島から出る事もできない、きっとこの教会が完成したら時には、自分たちは殺されるに違いないと思ったのだそうです。そして、これは自分たちの最期の仕事になるかもしれないから、立派な建物を作って後世に残そうと思ったのだそうです。 ところが、村民たちは必死で働き、また節制に節制を重ねて、教会が完成した時に、村長はそのお金をきっちり揃えて、大工さんたちに支払ったのだそうです。 そうした、祈りと信仰の賜物としてたった野首教会ですが、高度経済成長のあおりを受けて村民が次々と島を離れ、40年ほど前に最後の世帯が島を離れてからは、島は無人島になりました。 今は鹿たちの楽園で、谷間には畑の跡と崩れた廃屋が点在し、茶碗のかけらや忘れられた生活用品から、かつての暮らしの雰囲気が僅かに残っているに過ぎません。 ![]() 今回はこの教会と、すぐ下にある自然学藝村で、山田先生とお話つくり&歌つくりのコラボワークになりました。 今年は何かと関わらせて頂いた飯塚ドラマスクール。
OBメンバーとは、何度もステージを共にさせて頂きました。 そんな中で12月24,25日と関わらせて頂いた現役生たちのための音楽ワーク。 シアタークラス、表現クラス合同で、総勢40名以上のワークでしたが、非常に面白かったです。 今回は現役生たちが自ら作ってゆく物語の中で、音楽(BGM)をどう効果的に入れて雰囲気を作ってゆくかというところを経験してもらうという所がひとつのテーマでした。そのための入り口として、少し音楽表現を使ったリズムワークや即興的に声を紡ぐ合唱のワークを少しやって、後半は、声だけで物語を紡ぐヴォイス・シーンを使って、物語の中にある『音』の要素について考えてもらい、また自ら音を発するというところでの、積極的なノイズ表現を体験してもらおうと思いました。 それぞれ20名くらいのチームに分かれて、お互いに聞こえない様にどのお話にするか決め、プロットと音のシートを作り、これを一種の楽譜にして全員で歌(?)います。相手チームは目を閉じて、これを聴き、どんな物語か想像するという遊びです。 偶然どちらのチームも選んだお話は『浦島太郎』 同じお話だったので、逆にそれぞれのチームが物語のどこに注目しているか、どんな風に雰囲気を作り上げるかの違いが分かれて、とても興味深い結果になりました。 まずはチーム1 ![]() そしてできた音はこれです。 浦島太郎 ヴォイス・シーン 1 そしてチーム2 ![]() そして、できた音はこれ 浦島太郎 ヴォイス・シーン 2 楽譜が右から読むのと左から読むというところが既に違いますが、楽譜(?)を追いながら、今どのあたりかなと見ながら聞くと大変面白いです。竜宮城の宴の感じも全然違いますし、それ、どうやって音にするの?みたいな書き込みもあったりして...子供たちの自由な創造性を楽しませて頂きました! 昨日、一昨日と、久しぶりに大阪に即興ソングワークで行ってきた。
毎年恒例で呼んで頂いているけれど、今年は大阪のみ。 不思議と今年は子供に関わるワークが多かった。 子供の視点、反応、自由さ不自由さ、今まで大人中心に行ってきたワークとは全く感触の違った経験を持てたことで、ファシリテーターとしての立ち方が少し変わったように思えた。 今回、特に意識していたのは「わらべうた」や民謡などにある、日本的なメロディについて。 今までは、どうしても、エンターテイメントとしての「インプロ」が海外産であるが故に、そこで目標にする「即興ソング」の形がどうしても西洋音楽に偏っていた。これは、初期にシアタースポーツで取り組んできた時に設定したジャンル・コールの定石パターンを踏襲していた事と、やはり一般的に大半のプレーヤーが洋楽、もしくは洋楽をベースにしたJ-POPを聴いているために、歌=西洋音楽的な歌 という風になってしまいがちだった。これは別にインプロの世界に限った事ではないし、あえていう程の事でもないかもしれないけれど、実はとても重要な気がする。 歌う事について、例えば「何か歌って」と日本人の誰かに言うとかなりの確率で「オンチだから」「リズム感が悪いから」と言って遠慮されてしまう。これは海外ではあまりない傾向らしい。実際にそれなりに歌えるし、そんなにオンチでもない。なのに、日本人は結構本当にオンチだったり、リズムが悪い、ただし、西洋的な音楽をやったら、と但し書きが必要だ。 仮にチャチャツボチャツボ…とか、だるまさんがころんだ…みたいな歌を歌って、そんなにオンチやリズムの悪い人はいない。こういう歌は大抵2つか3つの音だけしか使わないし、音程も比較的狭い範囲で成り立っている。 リズムに関してはどれも強拍のようでのっぺりしているが、時には「あんたがたどこさ」(あんたがたどこさ=4拍 ひごさ=2拍 ひごどこさ=3拍 くまもとさ=3拍 くまもとどこさ=4拍…) といったように複雑な拍子の曲もあるのに、誰もが難なく歌いこなしている。 つまり、日本語文化の中から産まれた歌は、日本語のアクセントに沿ったメロディとリズムをもっていて、こういう歌ならば自然と誰でも歌いこなせるようになっているという事だ。 なので、とにかくまずは音程を拡げたり、無理に西洋的なリズムの中に入れなくとも、わらべうたの替え歌みたいな形からどんどん展開していけばいい。実にシンプルな結論だけど、最近になってようやく、この辺りがかなり腑に落ちてきた。 ここにきて思うのは、こうしたわらべうたを主体にした遊び歌には、日常生活のニュートラルな意識がより投影されやすいのではないかという事。歌うことによって「何かになる」例えば誰か好きな歌手になりきるとか、オペラなどの既存の歌い方につい合わせてしまうのではなく、ただ「自分として歌う」という所に自然に落ち着くように思えるのだ。そして、それは、とても大きな意味がある。「日常の中にある歌」を、自己表現の一手段としてワークの中や、舞台上に引き出せるきっかけになりやすいと思えるのだ。 歌う事は何もそんなに特別な事じゃない。 誰でもが猫相手や赤ちゃんをあやす時に意識せず歌っている。 こうした日常にある素朴で美しい歌を、自信を持って人生や舞台の上で響かせてもらいたい。 そんな事を、考えている。 先日も秋恒例になった大阪〜明石〜姫路のWSツアーに行ってきました。
レギュラーメンバーはどんどんスキルアップしてきているし、そんな流れから初参加の方々も比較的自然にアンサンブルに混じれるような空気になっていると感じます。 毎回色々な事があるワークですが、皆さんの自由度がかなり増して来たなと感じたのは定番の暗闇(ブラインド)コーラス。いつもは基本1声部のグレゴリオ聖歌風な斉唱から始まり、多少途中から2声、3声と予期せず(笑)分化していくのですが、今回は途中からソロも含めたフリーな感じに。これは恐らくですが、前回と前々回にアドバンスで作った即興ヴォイス・アンサンブルを経て、更に『遊び』の要素が増しているように感じました。 いつもは絶対音楽的に『音』に集中して行うのですが、今回は『ヒノキ』『月』など、全員でイメージを共有してから発するという方向を試みました。 以下は10月23日の明石WS午後の部の音声ファイルです。 図らずも満月でしたので 『月』というテーマで行った約20分の即興コーラスの後半部分です。 トライバル風なヴォイスや色々なイメージが飛び交っています。 即興コーラス『月』 こうした即興的な声のアンサンブルは、恐らく石器時代の穴居人たちの中でも行われていたのではないかと推察します。音の響く洞窟の中で、星位的な刺激によって励起された生殖衝動や、狩りの興奮、戦いなどによって発せられる声が幾重にも重なり、音の塊となって更に自分たちを包んでゆく。 それは熱狂的でスピリチュアルな体験をもたらしたのではないでしょうか? こうした原初的な音体験や、リズム体験、ハーモニーの原点などの創造体験は、誰もが持っている音感覚やクリエイティビティを呼び起こすきっかけになると信じています。 人間という生き物が発する生の声の重なりは、本当にパワフルです。 今回の収穫はこれだけではありません。 言葉からメロディを紡ぎ、サビとして共有、そして歌ってみる。という形での合唱作りは今まで何度もやってきましたが、今回はこれを4〜5人のアンサンブルで試行。 少人数なので、言葉ではなく一文くらいの共有が可能になり、より曲の雰囲気をプレーヤー主体に作れるようになりました。 中でも明石のWSで生まれた、参加者のひとりKちゃんのためのバースデイソングは感動もの。 これは先の福岡のワークで生まれた『誰かのためのアンセム(賛歌)』で、とにかく全員からほめたたえる言葉をもらいます。 ちょっとセラピー的ですが、こういうのも、またいいものです。 少人数でのアドバンス・ワークは徹底してスキルアップのためのトレーニング・メソッドと、実際の演劇的シーンの中にどう歌を織り込んで行くかというところを模索しました。全てインプロなので、大変に高度な作業ですが、実際にパフォーマンスして行く上で必ず必要になるスキルですから、ここもずっと掘り下げて行く必要を感じました。 今回の要点&課題 *即興的アンサンブルによる原初体験を深化させる *より完成度の高い即興ソングのためのフォーマット構築 (役者や一般の方のための、簡単で練習効果の高い(しかも楽しい)トレーニング・メソッドを作る事) *セラピー的側面を持った体験のワークと、パフォーマンス指向のスキルアップのためのワーク、ファシリテーターのためのレクチャーなど、ワークの方向性、終着点などをもう一度明確にする事。 はあ、やる事いっぱい。。。。 |
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